日中戦争(支那事変)初頭の1937年(昭和12年/民国26年)12月、日本軍が南京を占領した際、約2カ月にわたっての事件。
このHPではその前後の時期の資料を挙げています。
日本軍は南京で民衆にコレラ予防接種を行っていた(1938/9)
(1938年)9月末現在の南京市内人口39万2715人に対して、城外の一部不便な地域を除き、南京市内のコレラ予防接種は完璧に近き成果をあげた。
中国軍との対話に行った佐官が暴行(1928/5)
中国側による銃撃、略奪、日本人への虐殺が始まったので、日本軍は蒋介石の司令部に行った事のある佐々木中佐を蒋介石の元に派遣し、中国軍の銃撃を止めさせようとした。
すると、中国兵は佐々木中佐を車から引き摺り下ろし暴行した。
支援したすきに略奪する南軍(蒋介石の国民党軍)(1928/5)
済南に住んでいた日本人への略奪、虐殺行為の結果、現地の日本軍が自国民保護のためにやむなく交戦。
北軍と戦い済南にやってきた南軍(蒋介石の国民党軍)は済南で日本人を守っていた日本軍に撤退してくれと頼む。 日本軍との関係は穏やかだったし、大人しくしてたから蒋介石を信じて僅かな兵を残して撤退したら、日本人への略奪を始めた。
済南事件で日本軍は軍を決定(1928/5)
日本人虐殺(1928/5)
日本人の住宅を略奪したから警察官を向かわせたら、中国兵が警官をぶん殴ったので、20名の日本兵を向かわせたら一旦逃げたが、日本兵に向けて撃ってきたから応戦。
すると他の場所でも同時に銃声が起こり日本人への虐殺が始まった。
済南事件邦人惨殺写真(1928/5)
日本や米英の領事館等を襲撃した南京事件(1927)
1927年の中国の治安
清朝崩壊後の大陸は各地の軍閥同士の内線状態で、中国人による外国人への大規模な襲撃、虐殺事件も起こり、外国人の安全が守られなかったので、自国民保護のための欧米各国の軍駐留が合法的に認められていた。
ドイツによる国民党軍支援
そのドイツは1938年頃まで、蒋介石の国民党軍を軍事支援しており、武器や装備だけでなく軍事顧問団まで大陸に送っていた。
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