アイヌは14世紀に突如現れた
14世紀に突如日本の歴史に現れたアイヌに
15世紀、和人が迫害される
17世紀、アイヌによる和人ジェノサイド
先住民族はアイヌではなく迫害された和人側
この時代はアイヌはいなかった。
アイヌによる和人殺害
康正二年(1456) 「和人が多く殺され、残った人々が上ノ国と松前に集まる。」
上ノ国町年表
アイヌ文化の前に本州由来の文化
皇朝十二銭は道内ではこれまで、恵庭市や千歳市などで見つかっている。
アイヌが現れる前から日本人が生活していたことの証拠
アイヌによる侵略
アイヌ文化は江戸時代に保護されていた
和人がアイヌに迫害されたため、アイヌが和人に同化することを 防いでいた(らしい)。
日本がアイヌに対して行った同化政策
日本がアイヌに対して「絶対的、強制的、圧制的にまで、行政上、司法上より断行励行」に行った同化政策がありました。
それは病源の撲滅。生活・衛生面の同化改善でした。
チセの内部
・日当たりが悪く暗湿、
・煤煙燻れるむさぐるしき土間(床が無い)
・器物や衣服や食べ物が雑然と放置されている
・爪髪は伸びっぱなし
・垢だらけの皮膚
・肺病・肋膜炎・リーマチス・トラホーム・半盲・盲目
・老幼に盲目が多い
美化することなく、そのままのチセでの暮らしが書かれていました。子供たちの命のために家庭から衛生意識の改善が必要でした。
否定や非難ではなく彼らの暮らしが貧しかったわけではなく、その状態が普通だった。
原文
【衛生】廃残の種族たるアイヌは余の今日まで目撃したる処にては種々の疾病に呻吟し、殊に肺病最も多く眼疾これに次ぎ、屋内一見狼籍たる慄然棟然寒心に堪へざるものあり。而して今荷負に於けるアイヌの家庭は如何。着任の翌日第一着手として一戸毎にこれを訪ひぬ。
例によりて肺病・肋膜炎・リーマチス・トラホーム・半盲・盲目の老幼その多きには更に吃驚せられたり。何処に於ても見らるる如くその日光薄き暗湿なる煤煙燻れるむさぐるしき土間に、器物衣食狼々然雑然と放擲せらるる、不快を禁じ得ざる室内を爪髪は伸びるに任せ、皮膚は垢層をなして化石の如きミイラの如き、意とせず、顔色蒼白蠟石の如き一見誰か妖怪視せざらむ。 その沈痛なる頬、力なき目、半死せる唇の色一として寒心せられざるなく哀悼の情を催されざ るはなし。
かかる老人長者の膝下に乳育せられつつある児童こそ実に実に痛はしき限なれましてや肺患咳嗽繁く喀痰吐血幾回これを炉灰に吐く。その傍にありて嬉戯余念なき可憐の児女、馬鈴薯・人蔘・大根の類を焼きて、兄弟これを争ひ貪るを見よ。
かくして幾多病菌は幼童の体中に収めらるるを。漸く長ずるに及んで病を発し死亡相次ぐこ服務せしそれに異ならず。
この日誌内容は、
音更尋常小学校の教員、毛根尋常小学校
虻田実業補習学校を経て1911年に沙流郡平取村荷負尋常小学校の教員を勤めた吉田巌氏(当時30才)の記録です。
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